ジタバタOLのすべて

人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

コロナで私を思い出す。

コロナによる外出自粛要請がでてから早3週間。

我慢しないといけないことが増えたがストレスの山場は一旦超えたように思う。

 

美術館に行けないのも慣れたし、スタバに行けなくてもなんとかなっている。

ランチの選択肢は減ったし、百貨店がやってないのはつまらないけど、もともと物凄く浪費家ってわけでもないからアパレルや雑貨屋さんが閉まっていてもそこまで困らない。

ハイヒールの踵直したくなったら困るなぁ、とか思わなくはないけど、そもそもの外出頻度が減ってるし、ハイヒールも常々こまめにメンテに出しているので、すぐにすり減ることもなさそう。

 

トイレットペーパーだけ枯渇したらどうしようと心配していたけど、今日ラッキーなことに並ばずに買うことができたし(たまたま通りかかったらまだ在庫があった。)一旦すぐすぐの心配事はなさそうだ。

 

日本経済の衰退とか政府の対応のイケてない具合とか、社会に目を向ければ心配事もあるけど、私自身は普段地味に暮らしていたので、そこまで暮らしに変わりがない。

 

美味しいパンも買おうと思えば買えるし、お花屋さんも閉まってないし、近所を散歩してシロツメクサの写真を撮ったり、地味な幸せを噛み締めている。

今日はよく晴れていて東京に雲はなかったけど、遠くの山々の尾根の上にはゆったりとした雲が鎮座していて、非常に気持ちの良い日である。

世界はコロナが流行っていても美しいな。

 

そこそこ病弱というか貧弱な子どもだったので、何度か入院したことがあるのだけど、入院しているときと今はなんとなく状況が似ている。

仕事で神経内科の病院に行ったときに見かけた、ALSの入院患者さんを見てなんとも言えない気持ちになったのを思い出す。

 

元気で頭も働いているんだけど、入院は必要でヒマだからマンガ読んだり折り紙したり詩を書いたりして過ごしていたな。

 

私はあまりエネルギーのない子どもだと思うんだけど、昔から色んなことに諦観があるのかもしれない。

 

兄のように、口達者でクラスの人気者にはなれなかったし

運動も図工も音楽もそんなにできないし

小学校時代は不登校とイジメの歴史だし

中学受験は失敗したし

せっかく入った第一志望の高校は馴染めなかったし

父の期待にはいつまでも答えられなくて辛かった。

体は強くなく、コミュニケーション能力も高くない。

 

私の瞳は昔から暗いのだけど(よく見た目マジメだねとか落ち着いてるねと言われる)「人生徒然だしうたかた、神は死んだ」が根底に流れてるからではなかろうか。

 

 

相変わらずとりとめない雑記になってしまったけど、まぁ何が言いたいかと言うと、諦観のおかげでコロナに関する落ち込みはそこまでひどくない、ということ。

 

あと家の中で引きこもって何もしないのは結構好きだということ。

非生産的に生きる罪悪感を感じるからもやもやするんだけど、何もしないことが幸せ。

ひたすらTwitterWikipedia見る幸せ。

 

思うに、外出すると世の幸せそうな人々を見て私は辛いんだと思う。

いいなぁ、カップルで映画見られて、とか。

子どもがいて羨ましいなぁとか。

 

いま婚活もしてないし恋人もいないから、寂しく思うこともないし

家で仕事するのも困ることがひとつもないし(シェアハウスや同居人がいたら結構たいへんだと思う。ペットとかもだけど。)、足りない人生のおかげで足りてるというか煩わしさがない。

恋愛があると喜びもめちゃくちゃ大きいけど、辛い悲しいも深い。

 

最近、性欲は困ったなぁとは思うけど、一人で生きることを受け入れつつある。

心のどこかで「こんなはずではなかった」とは思ってるし、周りの友達は順調に結婚出産していく中で自分がずっと独身でいることは、なんだか添え物の人生のように思ったりする。

 

なんか漫画とかで主人公キャラは割と幸せになってて、その友達のサブキャラでいる独身キャラみたいな。

スピンオフで主役にならないこともない、みたいな。

 

なんか野心や成長意欲がなくてだめかなぁという気もするんだけど、最近色々悩むことにも疲れて「もういいんじゃないかな。自分ひとり食わして生きてるんだから。」という気もしてきた。

 

私は誰かのお嫁さんになって被扶養者家族として生きる道は用意されてなかったけど

自分一人食わせる力はなんとかどうやら世の中の優しさに甘えながら持たなくもない、みたいな。

 

世界一周旅行もできないし、スイートダーリンとスイート10を寿ぐ未来もなさそうだし、孫娘と一緒にケーキを食べに行く夢もついえてしまったように思える。

 

でも、もう生きてて、労働して、納税して、自分のご機嫌とって、多少経済回して生きてたら、もういいんじゃないですかね?

 

少なくとも、私はわたしの周りの人を多少はしあわせにする力があるし。

 

私の中に善なるものは確かに育ててきたし、育っているし、華やかなバラではないかもしれないが、心の原っぱに咲いて風に揺られていると思うのです。

 

 

結婚できない自分、子どもが得られない自分を可哀想で惨めだと思っているし

きっと結婚したい子どもがほしい呪縛からは本能的にも逃れられないと思うけど

私の心のひだまりの縁側や原っぱはこれからも消えないし

私を大切にしてくれる人が先立ってしまったとしても、

私が誰かを無償の愛で包めれば、ぽかぽかあたたかいのではないでしょうか。

 

そんなことを思いながら、道に咲くちいさな花々に心を寄せています。

 

私の心の原っぱ。