ジタバタOLのすべて

人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

ミッドサマーは全女性必見の作品(※ネタバレあり)

東京は雪が降ってますが、私の脳内は真夏の白夜です。

ごきげんよう、ジタバタOLです。

 

いま巷で話題のミッドサマーを見てきました。


『ミッドサマー』本国ティザー予告(日本語字幕付き)|2020年2月公開

 

昨日からディレクターズカット版(170分)もやってまして、どうせなら、とディレクターズカット版でみてきました。

 

前評判から「怖い」「怖いけど爽快感がある」「ある意味セラピー映画」などいろんな意見が飛び交っていて、「メンタルが弱い人におすすめしない」とか「カップルで見に行ってはダメ」とか「失恋後に見るとスッキリする」とか、気になってたんですよ。

 

 

前回ジョーカーの映画を見たときもそうですが、私はノミの心臓なので「怖い・エグイ・グロい」は、てんでダメ。

なので、必ずネタバレや考察ブログを読み漁って、どこが怖いシーンか予習した上で見に行きます。

それもどうかと思うけど、見たいけど自衛しないと本当に精神が闇に侵されちゃうんで。

 

そんなわけでかなり予習に予習を重ねて、見に行ったんですけど、結論やっぱり見てよかったです。

見る前から緊張していたこともあって、見終わった後は頭痛と肩こりと脳内に詰め込まれた情報量に圧倒されて、見てる間もそうだったけど、なんか口が半開きになって閉まらなかった。

 

口からなんか霞みたいなの発散してるような気分。

 

物語は知ってて見に行ったので、なんとも思わなかったんですけど、描写とか音とかセリフとか、色々印象に残ったものを書いてみます。

 

枕が長くてすみません。

ネタバレありなので、ご容赦の上、御覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつ状態のダニー

双極性障害の妹がいて、自身も抗うつ薬を飲んでいるダニー。

うつは伝染するので(医学的な話じゃなくてね。)カサンドラ症候群なのか知らんけど、とにかくダニーは自分自身もメンヘラ。

 

ダニーのメンヘラ描写はある意味、すごく真に迫っている。

特に彼氏のクリスチャンとの会話。

クリスチャンはメンヘラのダニーに別れを切り出せないけど、別れたいと思っている。

 

クリスチャンの前でのダニーはとにかくめんどくさい。

「あなたを責めてないわ!話し合いたいだけ。」

「ごめんなさい、私が悪かったの、ごめんなさいごめんなさい。。」

スウェーデンに行くって知らなかったわ。いえ、行くのはいいの!素敵じゃない!行ってきて!」

 

なんていうのかな。不安と恐れが強すぎて、素直になれない。

本当は泣き出したくもないし、もっと簡単に自分の意見を伝えたいんだと思う。

もしもっと健全な精神状態だったら、明るく怒りを爆発できたんじゃなかろうか。

 

「なんでスウェーデン行きを教えてくれなかったの?私の誕生日なのに!!!!」

 

でも、ダニーはこう言って相手を責めたら、クリスチャンに別れを切り出すきっかけを与えてしまうのがわかってる。嫌われたくない。だから言えない。

 

本谷有希子の小説の中で、これまたメンヘラの主人公が彼氏に吐くセリフ、

「あんたはいいね、私と別れられて。私は一生私と別れられない。」

は物凄くメンヘラの本音を代表している。

 

クリスチャンはダニーと縁を切りたがっているが、一番今のダニーと縁を切りたいのはダニー自身なのだ。

 

②ダニーが旅に同伴すること

勤勉なジョシュ、不遜なマーク、勝手ななクリスチャン、そしてホルガ村出身のペレ。

4人がペレの提案で、ホルガを訪れる旅行の計画をしている。

マークもジョシュも、ダニーの同行を歓迎していない。

ペレだけがダニーを歓迎する。映画冒頭で、ペレの歓迎は不可解だ。

 

それを補うようにペレは

「自分も両親を亡くしているから君に共感できる」という。

 

このセリフ、非常にサイコパス味がある。

両親の死を思い出させるようなことをいきなり言う無神経さ。

「自分は共感できる人間だ」と伝える自分勝手さ。

 

ダニーの同伴は、ペレにとっては思いがけないラッキーだったのか。

ペレは前からダニーを好きだったのでは?と思わせる描写があることから、ペレにとっては本当に願ったり叶ったりだったんだろうと後から気づく。

 

ダニーは自分が男性陣に歓迎されてないことを知りつつ、それでも一人で過ごすことに耐えられないために旅についていく。

ここもダニーの「ついていきたい」と「歓迎されてないと知っている」という矛盾した気持ちが見え隠れしている。

彼女は、空気読まずに「ついていきたい」のではない。

 

飛行機の中ですら、彼女は精神不安からか?泣いてしまう。

クリスチャンのような自分を愛してない男でも、誰かが隣にいないと生きていけない瞬間は、人生にある。

 

③白夜と貧困と姥捨て崖

本来、サニーデイズはメンタルに非常に良いものだ。

日光はセロトニンの分泌を促す。

 

雨や曇ばかりの街で暮らしていたダニーからしたら、非常に体に良いはずなのだ。

その上、ホルガの暮らしは牧歌的で平和で非攻撃的だ。

コミューン全体から、Welcomeな雰囲気がでている。

(あとから、それはコミューン外の遺伝子を歓迎しているからってわかるんだけど)

 

ちなみに日照率が低い地域は鬱や自殺が多い。北欧は抗うつ薬を飲む人が多いと聞く。

だからこそ白夜は本当に祝祭なのだ。

 

ホルガでは姥捨て山ならぬ姥捨て崖があり、72歳を迎えると、崖から飛び降りて自死を選ぶ。

それを選ぶことは悲しみであると同時に「お祝いすること」でもある。

役目を終えた命は、別の命に繋がれていく。

亡くなった女性の名前は次に生まれる赤子に継承される。

 

こういった儀式が現在まで続いている理由は貧しさと自然環境の厳しさだ。

日本はよく付和雷同の文化と言われる。同調圧力が強い、と。

なぜか。

私は、日本が災害大国だからではないかと思う。

あと国土の多くが山に囲まれており、大きな集落(街)を形成しづらいため、各村々は一致団結しないと生き残れない。故に、集落の掟を破ったものは「村八分」になるのだ。

 

ちなみに村八分の残りの二分は葬式と火事だそうだ。

葬式と家事のときは面倒みるが、それ以外は見てやらないよということ。

 

話を戻すと、ホルガも同じように過酷な自然環境だ。

気温が低く、日が短い。

 

その中で生き残るための手段が「コミューン」であり「姥捨て崖」なのだ。

 

④完全なる同調の先にある快感

人間は社会的な生き物だ。一人では生きていけないように作られている。

それは時代を超えて、自然の摂理であり、普遍的なことだ。

孤独が人を殺すことは言わずもがな、ダニーは妹によって両親共々奪われてしまったので、まさに圧倒的孤独の淵にいる。

 

そして現代社会は、よくも悪くも孤独になりやすい。

誰とでも出会えるようでいて、誰とも出会えない。

本当に出会いたいものに出会うのは難しい。

 

同じような気持ち・感覚を共有するには、同じような生育歴や環境、経験がないと難しい。

現にダニーたちは異文化すぎるホルガを受け入れられないし、またクリスチャンはダニーの孤独を受け入れられない。

逆に言うとペレがダニーに寄り添う(つけこむ?)のも「両親の死」という共感だ。

 

ホルガの夏至祭は、至るところで共感の描写が出てくる。

姥捨て崖から落ちた老人が苦しんでる姿を見て、村人たちがその苦しみに呼応して叫びだす。

マヤの処女喪失における喘ぎ声に、周囲の女性たちが一緒にあえぐ。

 

この強制力の強い「共感」は個人の喪失で有ると同時に生命の勝利だ。

個人としての自由意思、自由な選択は失われるが、一人ではない。

そして強いカルトな結束のもと、種の保存が保たれる。

生物として、生き残るという目線で見れば、ホルガは非常に合理的だ。

 

そしてダンスに象徴されるように、「集団で時と場所を同じくして一緒に同じことをする」のは、非常にセラピー効果が高い。

 

特にダンスは身体も動かすわけで、人を高揚させる。

本作ではドラッグの描写が多く出てくるが、ダニーを最もハイにさせたのはメイクイーンを決めるための女性たちの輪舞だ。

 

メイクイーンになったダニーは、村人たちから祝福を受ける。

ダニーはコミューンに受容される。

クリスチャンやその友人からは、つまはじきものだったのに。

 

ダニーはメイクイーンとしての儀式を終えて集落に戻ってきて、処女喪失の儀式に駆り出されたクリスチャンの姿を見てしまう。

彼女は泣き崩れる。泣き崩れるダニーと一緒に女性たちが一緒に泣き崩れる。

 

ホルガは、ダニーが欲しくても手に入らなかった「受容」を与え、

そのあとにダニーをある意味裏切り続けていたクリスチャンの決定的な場面を見せつけ「あなたの苦しみに共感していますよ」と意思表示する。

 

⑤ダニーが自己決定の力を取り戻す

物語の終盤、ダニーはメイクイーンとして祝祭の生贄を選ぶ権利を与えられる。

クリスチャンか村人の一人か。

 

ダニーがクリスチャンを選ぶ場面は描かれていないが、結果的にクリスチャンは生贄として焼き殺される。

 

ダニーが「クリスチャンを殺す」と選択したわけである。

クリスチャンがいないと生きていけない、だから旅に同伴したのではなかったか。

ダニーは目を背けてきたこと(クリスチャンはダニーを愛してない)を正視し、クリスチャンを生贄に選ぶことでクリスチャンではなく「クリスチャンに依存している自分」から決別したのである。

 

先に述べた本谷有希子の小説にあった「私は私と別れられない」の一線を超えたとも言える。

 

ブログ冒頭で「ダニーは、双極性障害の妹ゆえにカサンドラ症候群だったのでは?」と書いた。

ダニーはつまり、自分の人生を生きてこなかったのだ。

妹に振り回され、クリスチャンに振り回され、健全さを失い、決断する勇気を失っていた。

 

ダニーは最後、焼け落ちる生贄の家を見て、微笑む。

ダニーはホルガという集団に取り込まれることで、個を取り戻したのだ。

 

 

⑥総括まとめ

ミッドサマーは、ホラーでもセラピーでもないと私は思う。

これはダニーのための、オズの魔法使いだ。

ある意味、おとぎ話や連続テレビ小説に近い。

 

ひとりの女の子が七転八倒しながら、人生を選び取るお話。

むしろ対岸の我々(映画鑑賞者)から悲劇に見えるからこそ、

ダニーにとっては至上の喜劇。

 

おめでとう、ダニー。

あなたの幸せに乾杯。

 

 

バタ子でした。