ジタバタOLのすべて

東京育ち婚期を転勤でフイにする。人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

言葉の引き出し。

友人礼賛。

 

こんばんは、ジタバタOLです。

 

 

私が「悩んでいる。困っている。つらい。しんどい。」をまき散らすたびに

あらゆる友人が、彼女たちが持っている経験と智慧と聡明さと愛を以て

特効薬のような言葉を贈ってくれて、今日も明日も昨日も生き延びている。

 

そんな気がします。

 

(あ、ちなみに友達礼賛なので端折ったけど、マイグレートマザーの人を励ます能力は幾度となく私を救っている。とんでもなく傷ついたりとんでもなく救われたりするのはやっぱり母の言葉だから重みが違うんだろうなと思う。ゴマすりではないよ、ママン。)

 

 

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今日、結婚が決まった友人と会った。

もう長くお付き合いしていてのゴールインなので大変喜ばしいことである。

 

いつもの「最近どう?」の近況報告で

私が「失恋した。婚活はおやすみ。」という話をしたところ

 

友人から

「バタ子は相手から告白されたりもするんだから、

 ほんと結婚できないんじゃなくて、バタ子の結婚する気持ち次第だと思う。」

 

なる金言をいただいた。

 

友人からそう言ってもらえると有難いですなー。

(かつての中谷美紀主演「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」みたいだな。)

私 結婚できないんじゃなくて、しないんです DVD-BOX

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ちなみにこのドラマの原作でもある「スパルタ婚活塾」は別の友人がドラマ化する2,3年前に転勤先の私に送ってくれている。

スパルタ婚活塾

スパルタ婚活塾

 

 

 

で、私もスッカリ「結婚できないんじゃなくて、しないんです女」の気持ちになってしまって←

 

「そっかー、そうだねぇ」なんて相槌をうち←自分で納得しちゃダメなやつ。

 

「子どもが欲しいから相手を妥協するとかね。」なんて話をしていたら、

 

友人がポツリと

 

「バタ子の子ども、会ってみたいけどな。」と

 

のたまったので、仰天してしまった。

 

 

おい、友人!君は私の親戚か!!w

 

親や祖母以外から初めて聞く「バタ子の子どもに会ってみたい」発言!

 

 

もうめちゃくちゃ笑った。

 

「バタ子の子ども、絶対こまっしゃくれてるよね。」

「うん、男の子でも女の子でも、絶対こまっしゃくれてるよ!」

「こまっしゃくれてるって言いたいだけだよね、わたしたちw」

「こまっしゃくれてる、なんて単語、ここでしか使わなくない!?」

 

と二人でゲラゲラ笑った。

 

 

と同時に、本当にうれしかった。

 

結婚すらしていない私のまだ見ぬ子どもに

「会いたい」と言ってくれた友人に、心から感謝した。

 

私、誰かにこんなこと言ったことないなぁ。

もちろん、すべての子どもを望んでいる友人たちに

子どもに恵まれますように、と思ってはいるけど

「その子に会いたい」という言葉は、ついぞ私からは出てこなかった。

 

私ですら、自分の未来の子どもについて

「会いたい」という単語では思っていなかった。

「産みたい」もそこはかとなく、くらい。

 

最近は最早「産めるのか?」「産むのか?」みたいな

もうウミガメの産卵を見守る科学者みたいな心境で。

ブラックホールより未来の見えない私の子宮。

 

そんな私にとって「バタ子の子どもに会いたい」というのは

もうとってもとっても新鮮でパンチの効いた言葉だった。

 

うれしかったなぁ。

本当にうれしかった。

 

友達が私の子どもに「会ってみたい!」と思ってくれてるなんて

本当にうれしいことだと思った。

 

考え抜いて言ってくれた言葉というよりも

ふとした瞬間にポロリとこぼれた本音のように言われたことも

いたく心に残った。

 

自分が常に脳みそフル回転で言葉を練りだしているから

(自分で今日「私はかき氷つくるみたいに言葉を吐き出している」と表現した。)

こんなふうに「零れた言葉」への感動は大変大きなものであった。

 

彼女とは高校から16年の友人で(もう出会ったときの年齢と同じ年月を重ねている!)

私の酸いも甘いも、強きも弱きも、よくよくご存じ。

 

自分で自分の価値を認めてない私にとって

本当に友人たちの言葉は私を救う。

 

つくづく人に恵まれている。

 

よく「本当に困ったり弱ったりしたときに真の友人がわかる」なんて言うけど

偽物の友人なんて一人もいないよなと思う。

 

見せかけの関係性は、誰とも全く作ってこなかったと断言できる。

(関係性の濃い薄いではなく。)

 

おととい、自分のFacebookを過去にさかのぼって見ていたら

 

兄が私に対して

「お前のいいところは、人に恵まれていること。

 そしてそれに感謝できること。」と書いていた。

 

真理をつくなぁ。

 

私は友人たちの貰った言葉を額装して、心に飾って

まったく自信のない自分を

こんなにも「買って」くれている友人たちに励まされて

なんの成長も投資もしていない自分の「明日」に希望を持てている。

 

 

今日会った友人は、結婚が決まったばかりで

失恋したばかりの私と比べたら

そりゃもう、世間的には格差があるわけなんだけど

 

その格差があっても全然気にならない関係を彼女と築けたこと。

 

これが仲良くない女性から言われたらただのマウンティングにも聞こえかねない

「バタ子の子どもに会ってみたい」発言を

ふたりでゲラゲラ笑いあえたこと。

 

 

友情は、姿かたちをもって目に見えないけれど

星の王子さまの「本当に大切なものは目に見えない。」を

心の底から実感している。

 

どんどん友達と立っているライフステージが変わっていっても

同じ体験を有せなくても

想像力と友人たちへの愛で、私は格差を超えていきたい。

格差を超えて今手にしている私たちの「たしかなもの」をこれからも紡いでいきたい。

 

 

そんなことを思った、2019年の夏休みでした。

 

 

おやすみなさい、バタ子でした。

 

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