ジタバタOLのすべて

東京育ち婚期を転勤でフイにする。人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

ありのままを 受け入れる。

知己の赤子と坊やに会いに行ってきました。

 

梅雨は明るい色を着がち、どうもジタバタOLです。

 

赤子と坊やを褒めるボキャブラリーがとにかく無くて←

可愛いしか言えなかったんですけど

本当に可愛かったです。

 

ずっと見てられるなーと思った。

 

何ができるとか できないとか そういうことじゃなくて

存在が愛おしいんだなぁと。

 

もう生きてるだけで祝福されてる存在。

 

そう考えると、生まれたときは誰しもそんな感じだったはずなのに

大人になるにつれて、できる・できないとか有用無用で判断されるんだなー。

 

私の母は、未だに「泣いても笑ってもバタ子はかわいい」と伝えてくれるので

30年以上たっても、赤子の頃私に持っていた愛と同じものを持ち続けていて

母は強し、と思う。

 

可愛いってなんだろうと思って「かわいい 科学」でググったら

「保護したくなる感情を想起させる=かわいい」みたいな記事がでてきて

ナルホドと思った。

 

生け花をやってると、花は本当に美しいなぁと思うことが多いんだけど

あの思わず触れたくなる可憐さというのは、保護したくなる感情をくすぐられているのか。

 

たしかに、枯れた葉をつんで、綺麗が長持ちするようにしたくなるもんな。

手折りたくもなるし、めちゃくちゃにもしたくなるのが可愛さの正体なんだなー。

 

そんなことをぼんやり考えてたんですけど、

資本主義で生きてるから、こんなにも有用無用に振り回されるのかなーと思いました。

 

有益無益関係なく、存在自体に価値があるということがありえないわけで。

有益無益の価値観は人によって違うから、おたがいさまだけど。

 

もっと自給自足で、お互いさまだよね、で助け合うどっかの南国の島みたいな

未開(キリスト教的には野蛮なのかな。)の土地であれば

もっと幸せなんじゃないかな。

 

 

そもそも宗教の発達って、資本主義の台頭と比例している気がしていて

王様の権力を保つために「王権神授説」があるわけだけど

そういうものを使わないと封建主義や増えすぎた人類が調和を持って

生きていけなくなってしまったから、宗教が出てきたんじゃないかと思う。

 

貧富やヒエラルキーができて、不条理さに苛まれる人を

種の保存の法則からいえば、守って種を存続させるために出てきた思想が宗教。

 

未開だったころのほうが、よっぽど幸せだったんじゃないかなー。

言語が3つしかない原住民に宣教しようとして

「宗教がなくても幸せだから無理だな。宣教できない」と言った宣教師がいたとかいないとか。

 

 

宗教って麻薬みたいなもので、ないと生きていけないなんて状況は

人をお互いに愛する・施す・労ることが自然体ではもうできないほどの

不条理に死にたくなるほど社会が歪んでしまってるだけなんじゃないかな。

 

心の中から他罰的な資本主義の自分を追い出したい。

キリスト教のというか、キリストの教え(新約聖書)って

ある意味、資本主義を追い出す教えなんだと思う。

 

本来の洞窟暮らししてたときの、お互いを労る精神性にもどろうよ、みたいな。

それができている国に宣教にいく矛盾。

 

赤子と坊やかわいいからだいぶ遠いところに来てしまった。

赤子と坊やは本当に可愛かったです。

愛おしいという感情を思い出して、愛でるは癒やしだなと思いました。

 

今まで会った回数、通算5回目くらいだったのにお家に呼んでくださって

ありがとうございました。

 

とっても癒やされた!