ジタバタOLのすべて

人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

絶望と迷いの先にあるのは今の自分だから。

2013年7月、夏真っ盛りの熱帯夜。

 

私はベッドに裸で寝っ転がって、無数の蠅を見ていた。

 

もう5日はご飯を食べてなかった。

 

部屋のコバエは日に日に増えて、

私の上を旋回している。

 

とうとう食材もなくなって、私の目元にとまった蠅を感じて

 

「ああ、こういうのユニセフのポスターで見たことあるな」と思った。

 

手で払いのける元気もなかった。

 

ここまで書いたら、お察しだが、うつ病だった。

 

齢25にして、死にたいナァと思いながらただただ部屋の天井を仰いでいた。

 

おなかをさすると、へっこんでいるお臍と骨ばったあばら。

 

死ぬ勇気もなければ、生きていく自信もない中で

 

ハムレットのような意識の高い「生きるべきか、死ぬべきか」でも

ハリウッド映画のような「Dead or Alive」でもなく

 

ぼんやりと死と生の狭間を漂っているような気分だった。

 

死んでしまいたい、という思いと

死ぬことへの恐怖。

 

生きていたい、という切なる願いと

生きていけるんだろうか、という恐れ。

 

袋小路にはまってしまった私は、それでもなんとか

薬とカウンセリングの力を使って、這い上がり

 

5キロ落ちた体重と

スッカラカンになった貯金、

劣等感と自己否定感を引きずりながら

 

仕事に復職した。

 

復職してからも七転八倒、曖昧模糊な毎日。

自分の価値を信じられず、生理のたびに吐き

脆弱な精神と身体を恨みながら日々を過ごした。

 

仕事だけはまじめにやった。

それくらいしか取柄はなかった。

 

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1年後、一緒に仕事をしていた、別部署から

 

「ウチにきてくれないか」とオファーがあった。

 

 

場所は九州だった。

 

私は東京生まれ東京育ち、車の免許すら持っていない。

 

正直に「去年うつ病で休職してたんです。自信がありません。」と答えたが

 

「1年だけでもいい。キャリアにとってプラスになるはず。」と熱心に誘われた。

 

 

その話をすると母は心配していたが、兄は

 

「行くしかないじゃん。行かない理由ある?

 こんなチャンスめったにないよ。失敗したら帰ってくればいいだけじゃん。」

 

いとも簡単に背中を押した。

 

コンゴ行けって言われてるんじゃないんだからさw」

 

そう付け加えた。

 

コンゴ!たしかにコンゴではない。

日本だ。言葉も通じる。

 

自分が失敗するかもしれない、と思うと

このままじゃうまくいかないんじゃないかと不安になると

迷いが生じる。

 

でも、うまくいくかが重要なんじゃない。

 

2013年の熱帯夜、死ぬことのほうが簡単にうまくいった。

電車に飛び降りればすぐ死ねた。

 

「うまくいく」ことだけを考えれば

この先100歳まで「うまく生きていく」ことのほうが

はるかに難しくて大変でしんどそうだった。

 

でも、絶対うまくいかない未来が見えてる道を選んだ。

死ぬ勇気もなかったから。

 

迷いながら生きることを選んだ。

 

転勤することも迷いがあった。

うまくいくことだけを考えたら東京にいるほうが楽だった。

 

それでも、転勤を選んだ。

 

東京女子たちに「私なら断る。よく行くね。」と言われながら

 

それでも行くと決めた。

 

行ってからも辛かった。

タフだった。

 

本当に何度も何度も声をあげて泣いた。

でもあの涙の先に、今生きてる自分がいる。

 

蠅が私の頬をつたう涙に止まっていたとき、こんなふうになるなんて

考えてもみなかった。

 

決断と迷いはニコイチだ。

 

決断しては迷い、迷っては決断する。

 

でもいずれの決断もその時のベストチョイスで

その後の迷いは未来の自分が解決する問題だ。

 

もう二度と見たくはない、無数の蠅が飛び交う自室の天井。

 

でもあのどん底で「生きる」と決断したことが今の自分を連れてきているんだ。