ジタバタOLのすべて

人生は常にジタバタしている。我ながら文章の才能本当にある。モノカキの依頼はいつでもTwitterでウェルカムです。

婚活というより愛活。

クリスマスなわけでして。

久しぶりにクリスマス礼拝なるものに行ってみました。

10年くらい前に一度行ったことがあって、割とよかった思い出があっておばあちゃんおじいちゃんおばちゃんおじちゃんに混ざって参加してきました。

で、めっちゃ泣いた。

キリスト教ってやっぱ孤独を救う宗教なんだなーと思った。

神さまという概念への意味づけの仕方がね、

本当に悩み多き人間たちの救いなんだなぁと。

聖書のどっかに、いつ信仰し始めても天の国には入れます、みたいな文言があって

そんな最初から信じてた人かわいそう。。と思ってたんだけど

神さまの愛は無償で唯一で絶対という教えが

人に謙虚さと利他的行動と向上心を芽生えさせるんだなーと思ったら

本当に毎日毎日、婚活ですり減らしてた時の自分を思って泣いてしまった。

結局私は愛されたいから婚活してるんだなと。

愛したいからじゃなくて。

で、なんでそうなのかっていうと

私が私を愛してないから

誰かに縋りたくて認めて欲しくてたまんないんだなと。

でも他人にそれを求めるのは酷なことで

2人も結婚を見据えた元彼がいたのに

別れてしまった私は、

やっぱり愛する覚悟なんかなくて

愛してほしい欲望が強かったんだと思う。

無償の愛や受容を自分で自分にしてあげたい。

誰かと比べたり、自分の欠点を数えたり

そういうんじゃなくて

足りないところも全部ひっくるめて

自分を愛してあげたい。

それがなんて困難なことなんだろう、

自分に対してすら無償の愛を私は持てない。

と思ったら、よくわかんないけど涙が止まらなかった。

信仰っていうのもひとつの覚悟なんだと思う。

この神様についていくっていう覚悟。

教義を守ると自分で決めて律すること。

神様は心の中にいるものだから、

結局他人の評価じゃなくて

自分軸になれるんだと思う。

信仰は自分の幸せを自分で決めるってことだ。

婚活で

うまくいかないなー。

まだ結婚してない、3年も婚活してるのに。

彼氏いた時もあったけど、結果まだ独り身。

と悶々としてたけど、そもそも覚悟がない私に

結婚は無理だったんだと思った。

愛してくれた人たちを愛する覚悟がなかった。

今だって少しは私をいいなと思ってくれる人がいるけど

その人たちを愛そうとしてないのは私だ。

いつか手相見さんだったか占い師さんだったかに

あなたは結婚は遅い。

結婚に足る成熟をしてから結婚するでしょう。

と言われて、ふーん??と思ってたけど

なんか本当にそうなんだろうなという気がしてきた。

全てのことは神様が時を用意してくださるそうだ。

キリスト教によると。

30年培った鎧を捨てて、ありのままの自分を愛せたら

その時は今日のクリスマス礼拝の伏線回収ができてるんじゃないかな。

婚活3年

やっと愛がなんたるかを知る。

無知の知までの道が長かったぜ。

百聞は一見に如かず

百見は一考に如かず←今やっとここ。

百考は一行に如かず

百行は一果(効)に如かず

百果(効)は一幸に如かず

百幸は一皇に如かず

これから愛を行動で示して、

性格と生活が愛で溢れるように。

ハレルヤ!