ジタバタOLのすべて

東京生まれヒップホップ育ちのはずが、なぜか今地方に住まう独身OLがジタバタしながら喜怒哀楽を垂れ流すブログ。

恋ってなんだーなんなんだー

彼氏の誕生日でした。


どうもジタバタOLです。



一緒にいて楽しいと思えないあたりがやばいなーと思います。


一日中デートしててつまらなくて、

最後のごはんの時に

あー美味しいものを一緒に食べて幸せー!って思う。


こんなもんかなー?


これならグルメ友達で良い気がします。

打算で恋愛しすぎて失敗した感。


幸せを押し付けないで。

FacebookInstagram、世のSNSは幸せな記事に溢れておりますな。

 

公害だよなー

 

 

と思うのは私が今ダークサイドに落ちているからです。

 

どうもジタバタOLです。

 

 

昔は親しい人にだけ言っていたことが、

今や全世界に発信されている昨今ですよ。

 

婚約しましただの

結婚しましただの

出産しましただの

昇進しましただの

表彰されましただの

 

たいして仲良くない人のだと「へー」としか感想が出てこない。

あと人の幸せ報告っていうのは自分に余裕が無いと殺意しか覚えない。

 

じゃぁお前は幸せ報告してないの?って言われたら

 

美味しいもの食べたらインスタにあげてますし

絶景見たらフェイスブックにあげてます。

 

はい、同罪です。

 

でも元気が無いときに見たいもんじゃないなって思いました。

今日は特別元気がなかったから。

 

幸せなことがあったら、誰かにいいたくなるけど

言わないほうがいいことのほうが多いんだろうな。

なんとなく。好きとか好きじゃないとか。

彼氏がとてもいい人でいい人で仕方ないんだけど、恋に落ちることができない。


なんでだろ。

転勤と婚活。クソ男にも出会ってしまう編。

久々に婚活についてとか。


婚活してるとクソ男にも出会います。

これはね、不可抗力だと思う。

そもそも婚活アプリなんかしてる人たちはまともな人もいるけど、まともじゃない恋愛難民とかチャラ男もいるわけで


本当にまともだったら

婚活アプリなんか使わんでも彼女作ってるということも多少はあると思うのです。


私だってアプリに頼ってるっていうの多少劣等感あります。


そんなん使わんでも男に困ってないって言ってみたい。


でも事実、そうではないからプライドかなぐり捨ててやるわけです。


仕事も恋愛も無駄なプライドほど邪魔なものはない。


真剣に恋活なり婚活なりやってると

クソ男に会ってしまった時にしこたま傷つきます。


おまえ、アムウェイかよ。的な。



とか、失礼なこと言われたり振られて逆ギレされたり。


ぜひそういうことが起きたら犬に噛まれたと思って忘れていたただきたい。


そういう男ばかりではないし

誰でも人生一回くらい、そーゆー男に出会うから!


当たり屋だと思って唾棄して前を向いてほしい。


酒飲んで、気持ちを洗ったら、クヨクヨしても仕方ないからクヨクヨしないこと。


クヨクヨしてる時間がもったいない。


クヨクヨしたら、クソ男の思うツボだ!!!


仕事で凹んでたら上司に


落ち込んでる暇なんてなくないですか?

落ち込むなら次善策考えないと、


って言われたことあるけど至言すぎる。


仕事の名言はプライベートにも通ずるな、と。


私、ポンコツだけど、人に恵まれるいい人生だと思います。





清水富美加さんの件で宗教を考えてみた。

幸福の科学をご両親が信じていらっしゃるそうで。


どうもジタバタOLです。


私は讃美歌についてブログで取り上げたように、キリスト教教育を多少受けて育ったもんで、キリスト教信者ではないけど、そこはかとなくキリスト教を信じている。


それは母もそこはかとなくキリスト教教育を受けて育っていて、その影響があるんだと思う。


私はなんというか、納得できないと宗教にのめり込めないタチで、

聖書に父母を捨てて私に付き従え、みたいなことイエスは言ってるのに、なんで宗教学の先生は信者のくせに日本にいてスーツ着て講釈垂れてるの?というのが全く解せなくて

キリスト教の教えは感銘を受けることはあっても信者になろうという気は起きない。


なんか、牧師さんが信じられない。

矛盾してるものに見えてしまう。申し訳ないけど。


そんな感じなんですけど、清水さんはご両親が信者さんだったそうなのでもっともっと宗教が身近だったろうし、あって当たり前、信じて当たり前の存在だったんじゃないのかなーと想像します。


宗教ってやっぱり人を幸せに導きますよっていうのが大義としてあるので、どんな宗教でもまぁまぁ人道的で賛成を得やすいことが表面的にはか言ってると思うし、心が弱ってる時の拠り所になるのが宗教なので清水さんは彼女のファックスが彼女の本音なら彼女は相当追い詰められた精神状態で出家を選んだんだろーなーと思います。


そもそも日本では宗教を何か信じることが一般的ではないので、精神的に健康な人ほど宗教は不要だと思います。


ほら辛いときとか苦しい時は、みんな神様に祈るじゃない。

あんなもんです、神様って。

毎週教会いくような習慣も一般的じゃない。


相当辛いのか、出家でもしないと芸能界から逃げられないと思ったのか、清水さんしか知りえないことだし芸能界から逃げるキッカケになった時点で彼女にとって幸福の科学は人生の恩人でありはなれがたくなるのかもしれないけど


彼女が心身ともに元気になって色々考える余裕ができた時に、なんで出家をしてしまったんだろう、と悩まないといいなあと思います。


あの時の私はおかしかったから、出家をしてしまった、でももう後戻りできない、どうしよう、とか後悔がないといいなぁと思います。なんとなく。


私は幸福の科学の守護霊がどーのこーのっていうのがどうしても胡散臭く思えてしまうので、微塵も科学の要素を感じないし、信じる気持ちにはなれないので逆に信じる人の気持ちがわかりません。


別にわからないってだけで、信者の人たちと価値観が違うってだけの話なので信じる人を貶めるつもりもないですが。


キリスト教を信じてる宗教学の先生にも、なんでこんな胡散臭いもん信じるんですか?って聞いたことあるんですが、割とロジカルに先生が返答してくれて


イエスがマジで奇跡起こしてなかったら当時信じる人はいなかったと思うんだよねぇ。

これだけの人心をつかんだってのはやっぱり奇跡を起こしたからだと思うんだよ、だから僕はキリストの奇跡を信じるしキリスト教を信じてるんだ。


とのことでした。


これはわりかし納得のいく答えでした。

それに比べて守護霊は俄かには信じがたい。

守護霊が本当にいたとしても、それを証明できないから信じられない。


証明できないものを信じられる人が私には信じられない。


ま、幸福の科学にとって守護霊の話は一部であり全部じゃないんだろうけど、たとえ一部であれ信じられないものがある宗教を私は信じられない。


清水さんもとい千眼美子さんが今後私の疑問に答えてくれたらいいな。



友人との格差

久しぶりにan.an.を買いました。

今日はお金に関する格差の話をします。


そんな日もあるんだよ、どうもジタバタOLです。


雑誌から遠ざかってたので、久しぶりに読みたくなって。

アラサーの悩み特集みたいな誌面だったんだけど、30ってのは男女問わず一律だった生活が人によって分かれてくる年代なんだなーと思った。


DINKSもいれば、3児の母もいるし、独身もいる。


みんな小5!とかじゃなくなってくる。


子供の頃も親の年収という格差はあったのかもしれないけど、そこまでの格差はなかった。

なんせ同じ学区なら同じ土地代のとこに住んでるわけやし

ほんとの金持ちは幼稚園から私立だったりするし。

高校や大学も基本的にその学費が払える親の子供たちが集まるわけだし。


もちろん、金持ちもいればそうじゃない家もあると思うけど。

うちは高校時代の同級生の暮らしぶりを見るに、たぶん真ん中くらいなんだと思う。たぶんね。わからんけど。



ところが、就職すると差がつく。


初任給から差がつくこともあるし、

じわじわ差がつくこともある。


やっぱり収入格差が生まれると、上下問わず、誘う場所とかお付き合いの仕方が難しくなる。


結婚して専業主婦のお友達とは独身の友人を誘うのと同じノリでちょっといいレストランとか誘っていいか考えるし、というかたぶん誘わない方がいいし


逆に独身で久しぶりに会う友達だったらタリーズってわけにはいかなくなるし。

タリーズ好きだけど。


でも考えてるからって収入によって友人の価値は下がらないし、大事なのはちっとも変わらないんだけど


たぶん収入格差をまったく1ミリも考えず生きていくことなんてできないと思う。


結婚式も色々でたけど、さすが○○ちゃん!っていう豪華絢爛なのもあれば、式にお金かけない夫婦もいるし。


何が言いたいかって、お金で距離ができちゃうのは仕方ないけど、まったく金のかからない、おにぎり持ってピクニックとか散歩とか、そゆことでも一緒に楽しみたいしkeep in touchでいたいなとおもうのでした。


お金が縁の切れ目にならんようにしたいもんです。

友人くらいは。



憧れのグレーの選択。

学生時代、エキセントリックだった私は何でも白黒つけたがる判事であった。


饒舌なジョーゼットにくるまれて、どうもジタバタOLです。


コレは好き、アレは嫌い。


兎にも角にも、2つに分けたい。

それが正しい、自分を持つってそういうことだと思っていた。



そんな高校時代、ほんわかしたお友達ができた。


彼女は、何か共感を求められると、すべてにそうだねぇと返した。


私は訳が分からなくなった。


私だったらおかしいとか賛同できないとか好きじゃないもの、世の中にたくさんある。


だから、否定するべき物事もたくさんある。



でも、彼女はすべてを肯定する。


本気で?


私は変だと思った。

自分が正しいと信じて疑わなかったので

彼女を糾弾した。


信用ならないと。


彼女は悩んだ。

それを言われて悩んだけど、何か言われたらそっかーって思うんだよね、と言った。



長らくそのことを忘れていたけど、ふと彼女のおおらかさは強さでありしなやかさなのだと気づいた。


私は自分で自分に足かせをはめて、こうじゃないとダメ!こうだからああするべき!と決めつけていた。



だれに強制されたわけでもないのに。



そしてそれを言い訳にして逃げてきた。

苦手なものから。

やりたくないことから。

辛いことから。



考えても仕方ないことを考えて、行動しない理由を作って。

視野を狭めて生きてきたから、ラクしてきたから、それじゃ生きていけない社会で制裁を受けた。

というか、受け入れられなかった、周りに。

会社は利害がからむ人間関係しかない。

友達のように利害が絡まないように距離を置けない。百パーセント利害が絡む。


彼女を断罪した15年前の私。


マジで馬鹿だな。


因みに彼女は本当に強くて良い人で、私と今でも友達でいてくれている。


彼女が人から好かれる理由がわかる。

無彩色の世界で生きてた私と違ってカラフルな見方をしてたから。

どの色も良いよね、と世界を見ていたから。


私はまだ無彩色の世界の住人なきがするけれど、でもグレーも綺麗だよねアリだよね、と思えるようになったよ。


15年かけてやっと追いついた気持ちです。

憧れのグレーの選択。しなやかさをいつも心に持てるように。

ナチュラルに受け入れていきたいね。