ジタバタOLのすべて

東京生まれ東京育ちアラサー婚活放浪記。彼氏と別れたとこに、渡りに船できた転勤辞令。はじめて東京を出て気づく。あれ?これ結婚できないんじゃね、、、???ド田舎で婚活スタート!関東の遠恋相手を見つける。が、破局!破局と同時に、東京にカムバック。転勤とか婚活とか仕事のジタバタを垂れ流すドキュメンタリー。モノ書きの仕事依頼お待ちしてます。

選ぶと出会う(久々の婚活考察)

昨日、友人から「経営者たちが言ってたけど、No.2は選ぶんじゃなくて出会うんだって」と教えてもらいました。

 

こんにちは、ジタバタOLこと、バタ子です。

 

OLもやめたくて仕方なくなってきまして、そのうちブログタイトルを変えるか

ブログ自体を移行するのが一つの目標かなと思ってきました。

 

さてさて。

 

婚活はすっかりお休みしていて、日々自分と向き合ってるんですけど

上記の「No.2は選ぶんじゃなくて出会う」というのは実に婚活にも当てはまると思う。

 

 

というのも、「選ぶ」つもりで会うと、知らず知らずのうちに減点法になったり上から目線になったりするからである!!

 

いい人と結婚したい、というのはもっと細かく書くと

いい人と出会って結婚したい、になり

じゃぁ、その「いい人」っていうのは誰が決めるかっていうと自分なのである。

 

もちろん、親にとってもいい人と思われたいとかそういうのあるかもしれないけど。

 

そうすると「いい人を選ぶ」目線がどうしても心に生まれるので

純粋に、打算なく、その人とフラットに話すことが知らず知らずのうちに難しくなる。

 

それってつまり傲慢だよね。

 

こうして選んでる目線で動いている限り、比較や採点といった価値観から抜け出せず

その人自身をまるっと愛するなんてことからどんどん遠くなる。

 

あの人より背は高いけど、あの人のほうが顔は好きだな、、とか。

年収700万かぁ、でも独身貴族って感じで家事できなさそう、とか。

 

その人のスキルとか肩書とか付属物ばっかり見ちゃって

もととなるその人の性格とかどんな種でどんな花を咲かせてる人なのかを見なくなる。

 

例えば、お花畑にいって「きれいだな。これもいいしあれもいいね。」と見るか

「きれいだけど、花弁がちょっと開きすぎね。」と見るか。

 

婚活がうまくいかないのは努力の量か方向性が間違ってるって思って

婚活を止めてみたんだけど、つまりこういうことだなと思った。

 

出会いを楽しんでる感じの人と一緒にいたほうが遥かに楽しい。

選ぶつもりの人と一緒にいても、全然楽しくない。

 

最終的に「結婚する決断」は自分の選択だし

「この人に決めた」というのは確かに「選んでる」んだけど

そもそも「選ぶつもり」でいると出会えないよ、と思った。

 

スタンスを変えるだけで、自分が相手にもたらす印象も変わると思うから

なんか少し海路が開けた感じする!

 

待てば海路の日和ありだね。

島崎和歌子がソファーを捨てたそうで。

部屋の模様替えをしているバタ子です。

なんか部屋が寒々しい気がしてフェアリーライト買っちゃったりなんかして。

意外によいです。

お金もないのにシェルフ買ったり寝具買ったりしてるんだけど

ものすごい微々たる生活の底上げが図れていてよいな、と思った。

歯磨きのコップをプラスチックから陶器にしてみたり。

ちなみに陶器がいいやんと思ったのは

セナ(一瞬で別れた元彼)の家が陶器だったからである。

転んでもタダでは起きない。

島崎和歌子がこの前サワコの朝に出ていて、

ソファーを捨てた話をしていた。

うちにはそもそもソファーはないんだけど

和歌子いわく

「ソファーあってもソファーの下の床に座っちゃったりする。あるとだらける。誰もこないし見栄はるのはよそうと思った。」とのこと。

なるほどー!と膝を打った。

今までこういう部屋だと快適っていうのを

あんまり考えたことがなくて

綺麗になってりゃいいんだろうな、そもそも汚いからそんな快適を考える以前の問題wと思ってた。

けど、その一言を聞いて、私が部屋でどう過ごしたいかをちゃんと考えるきっかけになった。

まず

床に座りたくない。

実家も床に座ることがあんまりないので、床に座ると落ち着かない。

故にごはんをローテーブルで食べると何となく居心地が悪い。

結果、デスクでごはんも化粧もパソコンも全部することになる!

そもそも奥行45センチしかない小さいデスクなのに

多機能化しすぎてパソコンを下ろしてお盆持って行くとかめんどい一手間が発生している!

と思い、もうごはんは台所で食べることにしました。

台所にちっちゃいシェルフ買ってそこをダイニングテーブルとします。

そしたら、洗い物運ぶ距離も短いし。

床に座るより起き上がる労力もかからない。

ちゃぶ台で食べるくらい普通のこともできんのか、という気もするけど

もうできないからしょうがない!

てか、1Kってさ、書斎とダイニングとリビングと寝室を兼ねるわけじゃん。

落ち着かない!!

もうお部屋は

寝るのとパソコンと化粧だけの部屋にします。

食べるのは台所!

寒ければ足湯すればいいし、足湯はあったかいし。

友達来た時だけちゃぶ台をだそう。

無駄にカセットコンロも持ってるんだよな。

誰か鍋に呼ばないと。

東京生まれの功罪

転勤して地方で2年半くらい住んだ私の実感として

東京生まれは甘美な毒だなということである。

 

あ、どうも、ジタバタOLです。

 

お耽美に東京を表現してみましたが、東京っていっても

田舎もん(失礼)が鬼のように集まってる場所でもあるわけで

特に最近毎日93万人が埼玉から東京に通勤してるという記事を読んだときは

衝撃だったよね。

 

ダビデ王が住民登録の号令でもかけたのかよ、っていうね。

地震が起きたら、馬小屋もない東京のどこでマリアは出産するのかね。

雑居ビルのカラ館とかかなぁ。

集まってくるのはホリエモンと落合陽一と池上彰。あとホームレス。

 

閑話休題

 

さて東京生まれヒップホップ育ちのバタ子のまわりは

これまた東京育ちが多い。

20代前半までは、大体の友人が東京にいたんだけど

働き始めて結婚すると、結構東京を出る友人がでてきた。

 

世田谷区民だったけど埼玉にいったとか、

名古屋とか海外とか様々だけど、たいてい旦那の仕事の関係。

 

私みたいに辺鄙な片田舎(名古屋大阪福岡じゃないw)に自分が転勤した人は

身の回りにいないから、なんだか自分が大冒険家みたいな気分になることもある。

 

東京のなかでも都会出身の友人と話していると

昔は「うらやましいなぁ」だったものが「大変だなぁ」に変わることもでてきた。

 

都内に実家があると、実家と仲が良ければよいほど

自立するタイミングを失う。

本当にきっかけがない。

 

一人暮らしを薦めるかというと、周りも勧めないし、

本人も望んではいないんだけど

真綿のように締めてくる家族の願いや親のしがらみから

逃げるすべがない。

 

田舎だったら、まだ出やすいのになぁと思う。

進学とか就職とかで外に出るきっかけがあるから。

 

都内だと、だいたい都内に進学・就職するから

全然出ていくきっかけが得られない。

 

かつ都外にでると不便になるのでメリットがない。

都内に出るのも、実家のがいい環境だからデメリットが大きすぎる。

 

そうすると物凄いストレッサーが家にない限り

なかなか出ていくきっかけが得られない。

 

満たされているので、飢餓感が薄く「自分がしたいこと」も

たいして思いつかないから「自分がしたいことは何だ!」とか

「野心を持て!」とか言われると困る。

 

ねーんだよ!ってなっちゃう。

 

でも日経ウーマンとか読んじゃうと、野心やら目標やらがある女性が

たくさんでてくるわけで焦る。

 

これでいいのかな。。。?と思う。

 

いいんだよ、って言ってあげたい。

大変な道を選ぶだけが人生じゃない。

 

あと、東京を出るとすごいストレスは貯まるけど(不便すぎて)

街や土地の多様性の受容力が増すから、怖いことじゃないよとも伝えたい。

 

東京を出るって鉢の植え替えみたいだ。

 

根こそぎ、違う鉢に植えられる。

土が違うから、美味しくないし、なれないし風の冷たさも違う。

寂しくて仕方なくなる。

その土がなじまなければ帰ってくればいいんだよ。

 

東京好きでもいいじゃない。

それだけ引力の強い街なんだから。

 

 

 

Twitterくらいが関の山

どうやらムラがあるのかやる気の問題なのか

動ける日と動けない日、

食欲のある日ない日など変化激しい。

変わらないのは期門が痛いこと。

このまま食べないと明日酷いことになるのだが

やる気が出ないなー

花いけたからかな?

頭使うとやっぱ他のことができない。

なんともなしにやってることも

クリエイティブ系は意外に頭使うのよな。

Twitterくらいが関の山なう。

あ、性欲が多少戻ってきた。

やりたいまでいかないけど。

すっかり安部公房の赤い繭の心境です。

フォックスフェイスと私。

新年あけましておめでとうございます。

 

こんなかたちで2019年が始まるなんて思ってもいなかったけど

年はあけてしまうわけなんです。

 

31歳になっていた。

このブログを始めたときは27歳だったと思うんだけどな。

 

早いぜ、まったく。

 

2018年に獲得したもの、失ったもの。

たくさんある気がするけど、何も思い出せない。

 

ここ最近、自己理解が足りてないということに気づきつつある。

 

カラダでいうと、

年末、鍼師さんに「やばいです。どうしたの?」といわれたけど

どうもこうも割とラクに過ごしてるはずで、何も思い当たらない。

そしたら、鍼師さんに「もうずっと辛すぎて無自覚なんですね。」と言われた。

 

ココロでいうと、

もう仕事が辛くて行けなくなってしまった。

でも何が辛いのかよくわからない。

毎日イライラはしてるけど、みんな同じように大変なのに

どうして私は耐えられないのか。

環境は恵まれてるはずだ。

「こんな弱いメンタルで!周りはもっと強いのに。」と虚弱体質を恨む。

 

でも人の手を借りて棚卸ししていくと

精一杯背伸びをしているし

周りの人より数百倍感受性が豊かで(よく言えばw)

摂取する情報量が多く

先々のリスクまで常に考え

バカ丁寧に仕事を進め

積極的に「誰のものでもない仕事」を拾い

自分を後回しにしていることに気づいた。

 

そうすべきだと思ってやってるんだけど

それが美学なのか、自分プロパーの仕事から逃げるための手段なのか

もはやわからないけど、

そうやって頑張ったところで「ありがとう」とお礼はいわれても

「次は私がやりますね。」と言ってもらえない辛さ。

 

不器用でいい人でバカなんだと思う。

誰かに抱きしめてもらって、号泣したいくらい辛いのに

「これは私が好きでやってるんだから」と大人ぶって

本当は理不尽だと思っている自分を押し殺す。

 

ココロの中で血をダラダラ流してるのに

そんなことも気づかず笑って「大丈夫です!」と言ってしまうタイプ。

 

自分の辛いのサインは全部無視。

むしろ心身からのサインは全部全部、自分が弱いせい。

弱い自分を許さないと決めた父性が

こどもの自分を閉じ込める。

 

そんな歪が決壊して、本当に壊れてしまった。

一度壊れると、もう元には戻らないのに。

壊れる前と全く同じにはなれないのに。

 

花を活ける時、枝に力を加えて曲げることを「ためる」と言う。

ため加減を間違えると、枝が折れる。

折れた枝は接着テープを使ってもとに戻ったように見せることはできるけど

折れたことは不可逆で戻せない。

 

そんなことを自分に当てはめて考えている。

転勤してたときのほうが、辛いことがあっても

泣いたり発散したりしてたかもしれない。

今は東京にいる甘えがあるのか、泣いてない。

 

辛いときに泣いたり、慰めたり、

2018年はもっと自分を労ってあげたらよかった。

もっと大事にしてあげたらよかった。

 

 

自分のことを全然わかってないんだなぁ。

 

全然話は変わるけど、最近人から「オレンジが似合うと思います」と言われた。

そんなジャイアンみたいな服着ないけどな、と思って無視してたんだけど

眼鏡屋さんでもパーソナルカラーはオータムかサマーと言われ

メイクレッスンでもオレンジベースのメイクをされたので

どうやらオレンジ系の色味が肌なじみが良いらしい。

 

 

自分では、自分のパーソナルカラーはウィンターだと思っていて、

黒とかクッキリした濃いピンクとかハッキリした色が似合うと信じていた。

 

だからペールカラーとかビタミンカラーなんて着たことがなかったんだけど

調べてみたら加齢とともにパーソナルカラーが変わることもあるそうで

似合う色味が変わったようだ。(まだ自分では違和感あるけど。)

 

顔色がくすんだってこと!?とショックを受けつつも

たしかに最近黒トップスを着るとくすむ感じがするw

昔似合ってたはずなんだけどな。

 

そういえばオレンジとかキャメルのコート着てたら褒められてたな、なんて思い出して

30過ぎて自分の似合う色さえよくわかってなかったんだなぁと

というか、自分の変化に気づいてないんだなぁとしみじみしてしまった。

 

去年の2月くらいに「花が枯れるとき、声もなく枯れるからずるい。」と書いた。

 

毎日注意深く見てたら気づくくらいの小さな小さな変化で枯れていく花を

気づけなかった自分を思ってそんなことを書いたんだけど

その花はどうやら私だった。

 

ヒロイックに聞こえるかもしれないけど

わからなかった。辛いこと気づかなかった。

気づいてたけど無視してた。

 

「これが辛かったんだ、苦しかったんだ」を数えるのは

非生産的だからしてはいけないと思ってたけど

南キャンの山ちゃんみたいに全部ノートに書き留めて吐き出すほうが

よっぽど健康的だし破壊と想像になったんじゃないかな。

 

自分・ふしぎ発見!!

 

 

メイクレッスンのあと、両目ものもらいになったけど

(どうやらメイク用品が合わなかったらしい。)

行ってよかったなと思う。

美的とかMAQUIAのおすすめ商品はパーソナライズされてないから

基礎化粧品含め、その人にあう・あわないはプロに聞いたほうが確かだと思った。

ものもらいにはなったけど、似合う色はわかった!

お金出す価値あったなと思う。

 

あと、メイクレッスン後すぐに使用した化粧品買わなくてよかった。

香水とかもそうだけど、馴染むかって時間かかんないとわからんもんね。

 

そんなわけでオータムカラーの模様です。(たぶん。)

いずれにしても青みではなくて、黄みの人らしい。

 

 

そして、私は細かくてセンシティブで感受性が強い。

そんな自分を許せなかったけど、もう受け入れることにする。

 

弱さを責めるんじゃなくて

強くなろうとするんじゃなくて

弱さを抱えて一緒に生きていこうと思う。

 

すぐクヨクヨすることも

改札口でチャージしそびれで止まった人を殺したくなる性格の悪さも

人を赦せないことも

 

そういう自分を赦すことにする。

 

去年の漢字は「赦」だった。

人のことを赦したかった。

他罰的な自分を変えたかった。

前向きに考えられるように、切り替え上手になりたかった。

 

無理して赦そうと努力した結果、自分が壊れた。

 

もう赦すのはやめる。

ムカつくことはムカつくし

殺したいやつは殺したいままでいい。

考えても仕方ないなんて意見は知らない。

赦せないじぶんも「にんげんだもの、みつを。」でいいことにする。

 

カウンセラーに「感じることは止められないし、感じているバタ子さんもバタ子さんなんですよ。」と言われた。

 

一貫性を持った人徳のある仙人みたいな人になりたかった。

今もちょっとなりたい。

 

でも感じることは止められない。

感じ方はもしかしたら変えられるかもしれない。

でも今感じてることや瞬発力で起きた感情の反応は変えられない。

それを赦すことにする。

 

思ってた形と真逆だけど、2018年終わってみて赦すに到達した気持ち。

パラドックスのようなオチがついてしまったけど。

 

 

 

・・・・

 

秋の花というと、フォックスフェイスがぱっと浮かぶ。

名前の通り、キツネの顔に似た形の黄色い実がなる植物。

 

私はフォックスフェイスでした。

狐のように人にも自分にも嘘をつく、秋(オータム)の花。

 

どピンクの紅梅だと思ってたんだけどなー。

もしくは芍薬のピンク。

 

今年の漢字ひともじは今日帰るときにふっと浮かんだ、

「心」にします。

 

心のおもむくままに。

頭じゃなくて心に正直に。

素直に。

 

今年もよろしくおねがいします。

 

矢野顕子の「ひとりぼっちはやめた」を聞きながら、

2019年1月6日、バタ子より愛を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ人はわたしの友達でいてくれるのだ。

職場の可愛子さんが、社内外男女問わず大人気で

よくさし飲みやランチに誘われてるんだが

本人はとてもクールで

友達と知人の境目はよくわからない、とのたまっている。

正直、彼女が好きな人というか、

彼女に友人認定されるのは中々至難の業である。

この歳になると披露宴に呼んでいただくことも

そこそこあったわけだが、

なんでこの人私を呼んでくれたんだろ?って人がいる。

数合わせなんだろうな的な人もいるし

明らかにテーブルの人数的に私がいなくても成立しそうなのになんで呼んでくれたんだろ枠もある。

この話、前もしたっけ?

相手がすごい人気者だったりすると

なんで隠キャの私なんか呼んでくれたのかと

不思議でたまらない。

全員にインタビューして回りたい。

ちなみにもう絶対私から連絡取らねーと決めてるのは

結婚式呼んでくれたけど、そのあとNISAの営業してきた友人。

しかもNISAのなんたるかも説明せず雑な営業されたので

よっぽど説教してやろうかと思ったけど

説教せずに友達を止めることにしました。

何考えてんだ、てめー!

そんな風に私も誰かに心の中で友人落第してるかもしれんけど。

ひとまず友人は大事にしよう。

最近彼氏もいないし家族も支えてくれるけど

家族だけではやっぱり生きていけない。

支えられてるなーと思う。

特に私の友人は賢い人しかいないし。

賢くて優しいひとしかいない。

この前カウンセリングで

友人選定の基準高いですね、と言われたけど

私の基準が高いというよりは

私を受け入れてくれる人の徳が高いから

結果的にそうなってるだけだと思う。

でも確かに上澄みとしか付き合いたくない、

とか考えてるな。

穢れといっしょにいたらと

染まっちゃうとか思ってるかも。

嫌なもんは嫌なんだよな、結局。

リフレーミング(カウンセリングのセカンドオピニオン)

このブログ始めたときは、転勤と婚活について書いてたのに

もはやTOKYOカムバックでブログのアイデンティティなくなりました。

しかも、婚活すら止めてしまったので、本当にね、

ブログ名を「ジタバタOLのすべて」にしておいてよかったな!と。

思うわけですね。

 

あと、やっぱり書くことで消化できることが多いから、

変にタイトルにテーマを入れなくてよかった。

 

んで、今日の話はカウンセリングの話。

 

5年近くカウンセリング通っていたカウンセラーから別のカウンセリングルームに変えてみたんです、最近。

 

今まで通ってたカウンセラーは荒療治系だったので

それはそれですごく好きだったんだけど

 

ユニークすぎる手法だから「内的気づき」を得づらいのでは?と

 

人のすすめもあって、変えてみた。

カウンセリングのセカンドオピニオン

 

大学のときに心理学の授業をとってたので

(私が学生のときは心理学科フィーバーだった。)

カウンセリング手法というのはなんとなく聞きかじっていたので

カウンセラーさんが何か言うたびに

 

あーミラーリングね?とか

そうそう、そういう相槌打つのよね、とか

 

つい考えてしまって、本当に嫌なクランケをカマしてるんですが

(さすがに口には出さないよ。)

 

長所短所の洗い出しを今日やりまして、

短所の部分について説明を求められたので

いっこいっこ事例を交えつつ説明したんだけど

なかなか面白かった。

というわけで感想を2つ。

 

1. ひとまず、全部リフレーミングをされる。

つまり言い換えると、、みたいな感じで短所を長所に言い換えるような感じ。

でもあんまりまだ納得感がない。

もちろん長所と表裏一体のものもあるんだけど

「まぁそうとも言うけど、そのように活用している気はしない、、」と思うものも多い。

 

とはいえ、新しいモノの見方を投げてくれてるんだなぁと思った。

 

例えば、短所のひとつに

「辛くなるとすぐ逃げる」っていうのを挙げてたんだけど

カウンセラー曰く

「辛くなるまでやるってこと?」とか

「辛いとわかってても始めるってことはチャレンジ精神があるってことでは?」とか

「そもそもやり始めない人もいるんだよ。」とか

自分が視野狭窄になってたことを気づかせる問いをしてくる。

 

あーナルホドな、とも思うし

私も人を励ますときに同じようにリフレーミングしてるはずなのに

なんで自分にはできないのかな??って単純に疑問。

 

他人については励ますモードだし、責めたってしょうがないし

責めるのは私の仕事じゃないと思ってるから

フレーミングできるんだよな、たぶん。

 

自分に対してリフレーミングするのは、

逃げとか甘えとか、酸っぱい葡萄みたいな感じがするから

やっちゃいけないことだと思ってるのかも。

 

謙虚であるべき、私は傲慢なんだから!という気持ちが強くて

謙虚じゃなくて卑屈とか自信喪失を選んでるのかも。

そっちのがヒロイックでラクだから。

 

自分に厳しいと誤解されがちだが、実際は甘いんじゃないかと思う。

もやもや。

 

2. なんとなく、というものはひとつもない。

コレは自分自身の短所を説明し終わったときにカウンセラーから言われたんだけど

「筋が通ってないものはなかったね、自分の軸があるんですね。」と。

 

たしかに、それが正しいか正しくないかとか

一般的かどうかとか厳しすぎるか否かはおいておいて

たしかに全部私のモノサシで測ってるから

全部説明ができる。

 

私にはこういうきらいがある、、例えばこういうことで

そう考える・行動する理由はコレで

それによってこのような被害がおきる、

 

と説明することが全てにおいてできる。

(コレみんなできると思ってたんだけど

わざわざカウンセラーから説明ができたね、と言われたということは

あんまり説明できない人もいるんだろうか。わからん。)

 

ちなみに「どうしてそう考えるんでしょう?どうしてそうするんでしょう?」など

途中で質問がさしはさまれるわけなんだけど

「これこそ自動思考をとき解いてる過程なんだなぁ

なかなか一人ではやっぱりできないや、カウンセリングって偉大。」と思った。

 

 

なんか、自分に甘くて他人に厳しいのが私だと思っていたんだけど

(それも間違ってないとは思うけど。)

どうやら完璧主義なのかな?と疑念が湧いた。

 

ある意味では自分に厳しい、というか

自分の理想が高すぎて、それに追いつかない自分に常に苦悩。

 

前に友達に「私の人生は60点ってかんじ」と話したことがあるんだけど

私じゃない価値観だったら、あのときの私に100点をつけていたのかな。

 

なんとなく今の自分を肯定しつつ

周りと比べて焦る毎日。

 

能力がないと信じたくないので

驕り高ぶる。

 

やばい、鬱になりそうだw

寝よう!寝まーす。

 

だれかリフレーミングしてくれ!!←